1996年3月シチリア島チエファル−海岸、小雨降る夕方防波堤からスケッチをしていた。相対的には地中海と言う概念だが正確にはティレア湾、ナポリで北風に煽られた小波がチエファル−海岸に到着すると5〜6m以上の波。冬の地中海は恐ろしい、海岸側の防波堤の下に居たのでズブ濡で済んだ、上に居たなら。
2007年6月ルーマニア画行、この国は土地が荒れているのかキャベツの塩ずけ−払うものさえ払えば美味しいものもあるのだろうが−スイカ(ウオッカの一種で、すももを蒸溜発酵させアルコール100%)各個人が自由に作れるらしい、が旨いし安い。ハムなども食べたのだろうが毎日現地で呑む地元の酒ほど旨いものはない。
最終日9時間バスの中で吐く、胃の中がからっぽになっても吐き続けた。
成田から帰って医者に行くと、おえん性肺炎とかで大病院を紹介され即入院、入院中にMRIで心臓の動脈が90%以上詰まっていると言われカテーテル。一か月以上入院した。
2014年5月末、二科の堀尾さんとフランクフルト、ベニス、ベニスから北方30キロ位のトレビーゾ(愛知県一宮市と姉妹都市、ちなみに堀尾さんは一宮の在)からギリシャの旅。
日程、宿泊は堀尾氏プラン、彼は大学学生時代から世界中を闊歩したつわもの。
フランクフルト2泊は初めて。ベニスは運河沿いのホテル。トレビーゾ4泊はイタリア内陸城壁に囲まれたアルプスの水に恵まれた豊かな北部都市という印象。
ギリシャ。アテネで1泊しミコノス島へ3泊。
6月3日デロス無人島、遺跡の島へ観光船で行く。
観光客は移動し人影は無く、海鳥の声も波の音も風も聞こえない、真っ青な空。太陽は頭上で輝く。
デロス同盟が島々の都市国家で提携され、その資金で、かのパルテノン神殿は建設されたと言う。
デロス神殿跡を散策しながら歩くと住居跡とおぼしき遺跡。1つの区切りが10坪位神殿の周辺なので奴隷の住居にしては不自然だし、家族持ちの住居にしては狭すぎないか、などと思いつつ住居跡遺跡の上をいつの間にやら歩いていた。
気がつくとエーゲ海は青かった。
ホテルへ帰り日本の旅行社に携帯で落下した旨を連絡すると、パリのインターナショナルSOSから携帯に連絡が入り、翌朝地元の指定医院へ行くように、ホテルにFAXで地図等が、病院から10時に迎えが来るとい
う。
4年ほど前にパリへ行ったときから海外でも使えるモードにしておいたのだが、今回ほど文明の利器なるものの恩恵をひしひしと感じたことはなかった。電話代は高かったが。
おじさんといった、きさくなギリシャ人の先生がレントゲンを取り、簡易コルセットを付けて繰れた。
その日は腰等が痛く窓からの景色とかドアの外とか、4号を2枚。 。翌日パッケージとガラガラ(大きな車輪のついた手で引っ張る買い物入れ)を引っ張り連絡船でサントリーニ島へ、島に近ずくにつれ地層の積み上がった絶壁の上に雪でも被ったような漆喰の建造物の島が続くのを見て、大昔伝説でアトランティス大陸が沈んだと言う話しを思い出した。地図を見るとクレタ島までのエーゲ海がその痕跡と考えると大陸という妄想はないが点在する島々は痕跡の証明かな。
クレタ島3泊ここの指定病院では検査入院とのことだったが断わる、何のために来たのか、医師に言われたと帰国後堀尾さん。アテネ1泊。帰国後MRIで肋骨2本脊髄ひびと診断され身体に合ったコルセットを6月につくり。取れたのは11月12日で今も背中、腰は痛い。