辻 政博 個展 Statement

2025年10月2日(木)〜10月8日(水)
12:00~18:00(最終日17時まで)
絵画とは、「行為としての絵画(painting as act)」と
「内的運動の可視化(visualizing inner movement)」という
二重の構造を基盤にしていると私は考える。
それは絵画=意図ではなく、
むしろ身体と無意識が交わる場所に生じる痕跡の運動である。
色や形は最初から意味をもつのではなく、
むしろ〈現象〉として立ち現れる。
鑑賞者はその前で、ただの「見る人」ではなく、
出会いの出来事に巻き込まれる存在となる。
表現とは意味を与えることではなく、
むしろ〈意味の裂け目〉
近づくことである。
飛沫、にじみ、こすれ、削り跡、重なり──
そこに象徴的なモチーフはなくとも、
各要素はリズムと無意識の衝動に共鳴し、
指示を持たない知覚を生み出す。
私の制作は、「意味を伝えること」に仕えるのではなく、
「絵画がどう現れ、どのような作用を他者の身体に残すか」
を問いの中心に置いている。
絵画とは、主体と物質、触覚と視覚が
浸透し合うことで生まれる出来事なのだ。
本展では、私の抽象的表現を通じて、
「無意識の身体性」
「制御されない物質の運動」
言語以前の知覚層」に関わる体験を提示する。
筆触、滴下、にじみ、こすれといった痕跡は、
作為を超えた契機から現れ、
鑑賞者の夢や記憶の未分化な断片を呼び覚ます。
水彩、絵具、珈琲といった素材は、流動する物質として、
「描くこと」以前の世界=触発される感覚の層を可視化し、
「沈黙の記憶」へと導くきっかけとなる。
この試みでは、メルロ=ポンティの身体的知覚論、
ラカンの三界構造、
さらに非言語的表象をめぐる現代記号論を背景に、
絵画が「意味の彼岸」における
生成運動となる可能性を探る。
私の制作は、「描くこと」が
「見ること」「触れること」「記憶すること」と
結びつく場であり、
鑑賞者はそこで存在の揺らぎに触れる。
絵画はもはや静止した対象ではなく、
ともに沈黙を生み出す、知覚的な共鳴空間となる。
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ゆるりトークショウ
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